今年の棋聖戦最終局

コンピューターの感覚と人間の感覚ー棋聖戦第五局梅田望夫観戦記
http://blog.livedoor.jp/shogitygoo/archives/51537471.html

いやぁ面白い。一気に読んでしまった。
せめてお礼代わりにコメント欄に寄せようかと思ったのだが文字数制限ではじかれたのでこちらからトラバすることにする。

もし私の記事を読まれる奇特な方がいたら、先にものぐさ将棋観戦ブログさん所の上記記事を読んで頂きたい。

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コンピューターに勝てる人間が一人もいなくなった時代の将棋

「私にとっては普通の手」「どうすれば最短で勝てるかを考えているだけ」と羽生さんはよく言う。

私見だが羽生さんは「コンピューター将棋の最大の理解者」と言う面ももちろんあるが、
同時に終盤近くなると、(現状のレベルではそこまでは言えませんが)コンピューター将棋そのものと言える部分もあると思う。

昨年の竜王戦第1局で渡辺竜王穴熊に6九角で迫るくだりにも
コンピューターっぽいというか、
梅田氏の記事にあった、『米長邦雄さんの「ピストルの撃ち合いのごとき将棋」』
常識をかなぐり捨ててひたすら最短距離を駆け抜ける将棋

つまり、「コンピューターに勝てる人間が一人もいなくなった時代の将棋」
に近い指し方を羽生さんがしている感じがした。
棋士が「感覚を破壊された」と口にする事があるが、
チェスと違い、将棋ではコンピュータが上回っても初めのうちは「知性を感じる手」というよりも
「鬼の手」とか「血生臭い手」、「無情」と言ったような、
とにかく情け容赦ない手がはびこりそうな気がする。

ただ、コンピュータが更に進化すると知性を感じさせる手も出てくるのではないだろうか。


感覚の言語化の限界

保木さんは確か
「人間の『感覚』というものも、実は意識無意識の判断の積み重ねで出来ており、将来的には数値化が可能だ」
「その時に人間はコンピュータのはじき出すただの計算結果を見て『知性』を感じる」
という話だったと思う。

なのでGPS将棋などボナンザファミリーの躍進には
人間が必ずしも言語化できない深層の感覚というか、とても意識下の人力では覚えさせきれない(却って穴が出来る)
段階にコンピュータは入ってきているのだと思う。

まだまだ将棋の達人による言語化が有益だとしても、一局面での人間の感覚的を言語化して覚えこますより、
ひたすら棋譜を読ませたりして無指向の独自進化を追及していく方が、長い目で見れば人間を負かす近道のように思える。

ただ、この辺りはものぐさ将棋観戦ブログの管理人さんも承知の上で書かれているはずだから、
言語化という言葉の意味をもっと広く用いられての事かもしれない。


「観る将棋」のファン

と、まぁ偉そうに書いて見たが一番言いたいのは
こんな風に色々考えさせられる、とても面白い記事だったということだ(←回りくどい笑)。

みなさんはどう思われただろうか?。

梅田さんや渡辺竜王の言うように
私のような弱い「観る将棋ファン」でも恥ずかしがらずに
無責任に勝手なことを言って楽しむのもありである。

これからもものぐさ将棋観戦ブログさん所の更新を楽しみにしよう。

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番組宣伝

既にご存知かもしれまないが私の好きな番組で羽生さんを特集するようです。
今までも同様の企画はあったと思いますが、新しい発見があったか興味深い所です。